B’zは“ビーイング系”なのか?

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B’zは2018年で結成30周年を迎えている。夏からは30周年を記念したヒット曲中心のライブ”Pleasureツアー”を敢行する予定で、まさにアニバーサリーイヤーであると言えよう。

 

さて、B’zは1988年、ビーイングの元からデビューした。そして30年経過した2018年現在も、同じくビーイングの元で、精力的に活動を行っている。

ところが、意外なことに巷では、B’zを「ビーイング系」と目しない人々が多数いるというのが事実のようである。

いやむしろ、B’zを「ビーイング系」アーティストとして捉えている人は、ごく少数なのではないかとさえ思う。

しかし、私はここであえて提唱したい。『B’zこそビーイング系の最たるものだ』ということを。

『B’zはビーイング系アーティスト』、否、『B’zこそビーイング系アーティスト』なのである。

この説を提唱するにあたってはまず、ビーイング系アーティストとB’zのこれまでにおける一般的な認識のされ方について解説する必要がある。

 




ビーイング系アーティストとB’zの違い

私自身、『ビーイング系アーティストとB’zは異なる』という世間での意見については、かなり心得ているつもりだ。

そこでまずは、通説となっているであろう当該理論を整理してみようと思う。

私が「他のビーイング系アーティストとB’zが異なっている」と世間に認識されているであろうと思う部分は以下の通りである。

  • B’zと他のビーイング系アーティストは売り上げの規模実動期間の長さが違う
  • B’zは松本孝弘が作曲をし、稲葉浩志が作詞をしているため他アーティストの影響を受けていない
  • B’zはそもそも売り上げ全盛時から扱いが別格だった
  • B’zは音楽性がポップというよりハードな面が目立つため他のビーイング系アーティストとは一線を画す

大きく挙げるとしたら以上の点だろう。次にこれらの点を紐解いていこうと思う。

まず「B’zと他のビーイング系アーティストは売り上げの規模や実動期間の長さが違う」という点に関しては、30年経った現在地点から見た結果論である点が大きい。この1点だけでB’zと他ビーイング系アーティストを切り分けてしまうのは論拠として少し弱いのではないかと感じられる。

次に、「B’zは松本孝弘が作曲をし、稲葉浩志が作詞をしているため他アーティストの影響を受けていない」という点に関してだが、これは非常に良い視点である。後述するが、この点がかなりB’zを別格と思しきポジションに導いた可能性が高い。鋭い指摘である。

そして次に、「B’zはそもそも売り上げ全盛時から扱いが別格だった」という点である。これもある意味結果論にはなってしまうのだが、B’zが圧倒的なキャリアを築いたとも言い切れない93年ごろにZYYG,REV,ZARD&WANDSがコラボした「果てしない夢を」にも、その他どんな楽曲にもコラボや楽曲提供の場が用意されていない点から考えてみてもそう感じるのは自然なことであるようにも感じる。しかしB’zも、後述する奇跡的な幸運にも恵まれているため、この点については詳細を後述する。

そして最後に、「B’zは音楽性がポップというよりハードな面が目立つため他のビーイング系アーティストとは一線を画す」という点である。これも一理あると言わざるを得ない。

WANDSも94年ごろから上杉の音楽性が前面に出てコアな音楽性に傾倒したりもしたが、基本的にはビーイング系アーティストは徹底的なマネジメントの元、ブランディングから音楽制作までもが管理されてしまうので、どうしても90年代前半のセールス全盛時には「売れ線」の楽曲を売り出していた側面が強い。B’zはポップさも担保していたとは言え、94年には「The 7th Blues」というハード面全開のアルバムを発表したりしており、かなり異色な存在であることは否めないであろう。

次に、私が『ビーイング系アーティストとB’zは異なる』と思う点について解説も交えて述べたいと思う。

自給能力とタイミングの妙

私が最大のキーになると思っているのは『自給能力とタイミングの妙』の2点である。

以下詳細を述べよう。

まず、『自給能力』についてである。これは前述の「B’zは松本孝弘が作曲をし、稲葉浩志が作詞をしているため他アーティストの影響を受けていない」という部分を意味している。

まさにこれこそが、B’zが他のビーイング系アーティストと全く異なる点であるということを指摘したい。ZARDやWANDS、大黒摩季やDEENなどは、作曲や作詞で他の作家の力を借りる必要があった。具体的には言わずもがな、稀代のヒットメーカー織田哲郎や栗林誠一郎である。

彼らは、作家のライティング能力にかなり依拠した状態で、音楽活動をしていく必要があった。(副次的に、その弊害がセールスの期間を短くしてしまっている点も否めないだろう)

そのためZARDのヒット曲「負けないで」とDEENのヒット曲「このまま君だけを奪い去りたい」、WANDSのヒット曲「世界が終るまでは…」の作曲者は織田哲郎なので同じである。

この点が、いわば「小室ファミリー」のような形で一族感を醸し出し、結果「ビーイング系アーティスト」とカテゴライズされている側面は否定できないであろう。

一方B’zは二人で全曲の作詞作曲を賄っているため、外的要因にも左右されず、作風も独自のものを担保し続けることに成功した。この点がB’zと他のビーイング系アーティストの大きな相違点であろう。(そう考えると、「自給」できるというのは、ある意味アーティストとして理想的な形でもあると言える。)

次に、「タイミングの妙」についてである。

実は、かつて裏側でB’zファンやビーイングファンにもあまり知られていない大きな事件が起こっていたのである。

それは1992年頃のこと。当時ミリオンヒットも連発し出したB’zの元に、先方からあるオファーが届く。

それは中山美穂とのコラボ楽曲のオファーであった。

しかしビーイングサイドは、B’zの持つパワーを勘案当時スターダムにのし上がりつつあったB’zはパワーバランス的に合わないと判断して、当時売り出し中であったWANDSをコラボ相手として指名したのである。

これはまさにタイミングの妙と言えるのではないか。

もし仮にB’zのブレイクが1~2年遅かったら、「中山美穂×B’z」のオファーが成立していたかもしれない。もしこのコラボが実現“してしまっていたら”…歴史にたらればは禁物だが、私が思うに今と比較して決して良い結果をもたらしていたとは思えない

ここにB’zの持つ幸運を改めて感じる次第であるのだ。

「B’zはそもそも売り上げ全盛時から扱いが別格だった」という議論がある意味で正しいことを証明したのだが、実はそのバックグラウンドには、このようなエピソードも隠されているのであった。

 

もちろん、それ以外にも論拠は挙げられるだろう。そもそも論のようになってしまうが、音楽制作や演奏のスキル、そしてライブパフォーマンスのスキル。これらを高く持ち合わせたB’zが別格のような存在になってしまうこともある意味当然ではある。

しかし、ここまで「ビーイング系アーティストとB’zの違い」を列挙しておきながら、なぜ私が
「B’zはビーイング系アーティストの最たるもの」とまで言い切ってしまうのか。

最後にこの点を説明しようと思う。

なぜ「B’zはビーイング系アーティスト」なのか

ビーイングの名前の由来は、『B級でもいいから売れる音楽が作りたい』という長戸氏の想いからである。ではこの言葉を2つの要素に分解してみよう。

まずは「B級でもいい」ということである。この「B級」が何を意味するのかを定義しなければならない。この点において、まだ私は具体的な言及がなされた文章を見たことがないので、あくまで憶測にはなるが、私はあえて定義するならば「二番煎じでもいい」という意味だと思っている。例えば、ビーイング得意の手法に「売れたアーティストと同じコンセプトでアーティストを当てていく」手法が挙げられる

「サザンオールスターズ→TUBE」「TM NETWORK→B’z」、「B’z→WANDS」、「BOOWY→T-BOLAN」「宇多田ヒカル→倉木麻衣」などが有名な例であろう。これらは悪く言うと「二番煎じ」的アプローチである。しかし、結果は見事成功と言える。セールス的に申し分ない結果を出しているのだから驚きである。このようなプロモーションこそがビーイングの言う『B級』的な売り方なのかもしれない。

また、楽曲自体のパロディもまたしかりである。ビーイング系アーティストの楽曲には、元ネタがわかりやすい曲が多い。例えば「負けないで」はDaryl Hallの「Dream Time」、BAADの「君が好きだと叫びたい」のイントロ後ブレイクはVan Halenの「Panama」を彷彿とさせる。B’zの楽曲にも枚挙に暇がないが、これらのアプローチも、長戸氏の言うところの『B級』なのだろうと思っている。

さて次に、『売れる音楽が作りたい』という点である。これは非常に重要な言葉である。

世の中には―リスナー側にも、そしてアーティスト側にも、セールスを意識することを忌み嫌う人々が思いのほか多くいるということを覚えておきたい。しかしあえて、『売れる音楽を作る』ことを宣言しているのである。これほど高らかな宣言があるだろうか。私にとっては感嘆以外の何物でもない

そして実際に、セールス面で実績を積み上げてきた。何より日本で一番CDを売っているアーティストを生み出したのだから、有言実行の極みである。もっと世間的にこの功績はたたえられるべきだろう。
実はB’zの松本も、インタビューで度々「売れることの重要性」について語っている。稲葉も同じ想いであろう。つまり基本的なアティテュードが、ビーイングもB’zも非常に近似的であると言えるのだ。
当たり前のようなことで、実はこのあたりのマッチングも非常に上手くいっているのである。

さて長くなってしまったが、以上の点からも察せるように、総合的にまとめると、『B’zはビーイングが目指した理想的なアーティストの形を実現した人たち』である。

ビーイングが当初志したことを、最も実現してきたアーティストなのである。

ただ音楽制作の面で独立していることや、音楽性、セールスの規模感という表層的な部分でビーイング系アーティストのカテゴライズから外れやすいだけである。本質に目を向ければ、おのずと『B’z=ビーイング』の図式が現れてくることだろう。

よって、『B’zこそビーイング系アーティストの最たるものだ』と私は主張したい。

上記は「B’zはビーイング系アーティスト」論の総論的位置づけに相当するだろうが、各論も一点だけ述べさせていただきたい。

ビーイングは、『歌謡曲的メロディ×洋楽テイストアプローチ』という手法を多分に使用してヒットを目指してきた歴史がある。これは…実際に作品を聴いている人ならわかりやすいだろう。一方B’zも、作品にこの要素をかなり強く持っている。作曲者の松本は松任谷由実が好きであることを公言することさえも憚らず、また2003年には『THE HIT PARADE』という日本の歌謡曲をカバーするコンセプトのアルバムを発表している。サウンドやアレンジは70年代のHR/HM、80年代の80’s的なものが多く、ブルースの要素も垣間見えるため、まさに長戸氏が培ってきて、採り入れようとしてきた音楽のバックグラウンドからも相違ない作風が実現されている。

この点も、「B’zはビーイング系アーティスト」論を根拠づける各論として十分成立するものだと考えている。

 

さて、ここまで多角的に『B’zはビーイング系アーティストである』ということを検証・解説してきたが、いかがだっただろうか?もちろんアーティストはそれぞれに個性があるため、「~系」とカテゴライズしても究極的には無意味であるという意見もあるだろう。しかし私は、どうしても『B’zとビーイング』の関係性を無視できないのだ。もはやスピリチュアルな領域に突入するレベル感で、B’zとビーイングの運命的な結びつきを感じている。そしてこれからも、それぞれの動きをより注視して、重ねて過去の考察も行っていきたいと考えている。

もはや、B’zがビーイング系アーティストである論拠は名前にすら隠されているのではないだろうかとさえ主張したくなる。B’zの「B」は、実は「Being」の「B」…でもあるのかもしれない…そう考えると、なおのこと面白くなる。

 

 

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